「おじさんのかさ」から考える大事にするとは?

価値観を考える絵本

ものを使うとき、これは何をするためにつかうものかわかっている。そう、だいたいはわかって使っている。でもそれが大事なものだったとしたら?どうしようか。使うのがちょっともったいなく感じる。

絵本「おじさんのかさ 佐野洋子 作・絵」から大事にするとはどういうことなのかを考えてみようと思う。

こんにちはmofuです。今回も佐野洋子さんの作品です。もっといろいろな作者さんの絵本も解釈してみたいけどやっぱりじぶんが絵本を好きになった原点は押さえておかないと。そう思って自分の絵本の「benchmarks=基準点」たちを知ってもらいたいというエゴから取り上げる作品を選んでいます。子どもに向けられているはずなのにおとなになって見てみたら考えさせられる、そんな絵本がじぶんには魅力的にうつるのです。なにを紹介しようかなと考えるのも楽しみのひとつ。じぶんの「好き」の延長線上にあなたの「すき」もあればうれしいなと思います。

絵本が気になった方はぜひ買ってよんでみてください。絵本って表紙もかわいいから家においてるだけでテンションあがります。買うハードルが高ければ買わなくったって、図書館でも立ち読みでも。手に取ってみてください。人生なにがきっかけになるかわからないから。

<PR>懐かしの絵本がたくさんあるのでこちらもチェックしてみてください。グッズとかも可愛い。



おじさんの不気味さ

表紙のおじさんはちょっといいとこのおじさんらしく、黒いぼうしをかぶり、黒いコートをはおり、ひげをはやしている。相場、つえでももっているだろうとおもいきや「黒いかさ」。午後から雨がふるからかさを持ち歩いているのかもしれない。

「おじさんは、とってもりっぱなかさをもっていました。くろくてほそくて、ぴかぴかのひかったつえのようでした。」

「おじさんは、でかけるときはいつも、かさをもってでかけました。」

ん?待てよ。

いつもかさを持ち歩いている。晴れでも持ち歩いているということになる。雨も降らないのにかさを持ち歩いていたらあきらかに邪魔だし、すこしまわりの目を気にしてしまうじぶんがいる。友達に貸した傘が晴れたに日帰ってきた時にはもうちょっと別の日に返してくれないかなあ?とかうちで遊ぶときに持ってきてよ!とか思ったりもする。

なぜおじさんはでかけるときはいつもかさをもってでかけているのか。「つえのよう」ということから、本当につえのかわりにして持ち歩いていたのかもしれない。

「すこしくらいのあめは、ぬれたままあるきました。」

それはじぶんにも経験がある。すこしのあめなら、かさをささずとも歩いて行ける。なんなら、かさをさすうでがつかれるのであまりかさはさしたがらない。

でもおじさんはちがった。

「かさがぬれるからです。」

どうやら、かさがぬれるのが嫌だからかさをささないらしい。いつも持ち歩いているのはここぞというときにさすためではないのか。じゃあほんとうに、つえのようにつかっているのか。

「もうすこしたくさんあめがふると、あまやどりをして、あめがやむまでまちました。」

「かさがぬれるからです。」

その手にもっているのは何かと問いたい。

あまやどりは、かさを持っていないひとがするものだと思ってた。あめがやむまでかさをもってあまやどりをしているおじさんの絵は不気味でしかない。でももしかするととても高級なかさで、あめにぬれるのがもったいないのかもしれない。

その後も、急ぐときはかさをしっかりと抱いて走っていき、あめがやまないときはしらないひとのかさにはいりましたと描かれている。理由はもちろん…「かさがぬれるからです。」もっとおおぶりの日はどこへも出かけなかったり、ひどいかぜでかさがひっくり返った人をみて「ああよかった、だいじなかさがこわれたかもしれない」と言っている。おじさんがいつもかさを持ち歩いているのは、つえにしているわけでもなく、あめが降りそうだからでもなく、かさが大事だからなのだろう。

ひとによってものの価値はちがう。このおじさんを不気味に感じるのは、じぶんのかさに対する価値観とおじさんのそれとはかけ離れているからなのだろう。じぶんにとってかさは、邪魔でなるべく持ち歩きたくないものだし、さしても場所をとるし、たたむの大変だし。雨ふってるときは助けられているはずなのに。おじさんにとってかさは必需品で大事で常に持ち歩きたい、財布やスマホと同じ。そしてあめにぬらしたくない。雨がふっているときに使うものなのに。じぶんの価値観のそとにある感覚はどうしても受け入れがたくなる。おじさんの感覚はじぶんにはわからないのだ。これはかさに限った話ではなさそうだ。

おじさんの変化

おじさんはある日、いつものようにかさを持ち歩き休憩がてらによった公園でかさの上に手をのっけてうっとりします。かさが汚れていないか、きっちり畳んであるか確認し、そして安心してまたうっとりします。

おじさんのお散歩ルーティンが描かれています。今日も大事そうにかさを眺めています。

そうしていると雨が少し降ってきました。小さな男の子があまやどりに走ってきました。そしておじさんの立派なかさをみて「あっちに行くなら一緒に入れてってよ」と言います。さておじさんはどうするのでしょうか。

「おっほん。」と、おじさんはいって、すこしうえのほうをみてきこえなかったことにしました

やっぱり、そうですかと思ってしまう。人に親切にすることよりもかさが大事。「かさが雨にぬれるのが嫌だ」という今までの「集大成」のようなおじさんの仕草。もうここまでいくと立派なもんです。

でもここからおじさんの心境に変化があらわれます。

小さな男の子の友達の女の子がきて「かさがないなら一緒に帰りましょう」と、かさに入れてあげます。ふたりは大きな声で歌いながらあめの中を帰っていきます。この時の歌がどうもおじさんは気になったようです。

「あめがふったら ポンポロロン あめがふったら ピッチャンチャン」

おじさんもつられてこえをだしていいました。「あめがふったら ポンポロロン あめがふったら ピッチャンチャン」おじさんはたちあがっていいました。「ほんとかなあ。」

とうとうおじさんはかさをひらいてしまいました。

かさを持ち歩いていても、あめが降ればあまやどりをし、かさを抱いて急いで帰ったり、人のかさに入れてもらったり、男の子にかさに入れてと頼まれても断っていたあのおじさんがかさをひらいた。かさを開くという、あめが降れば普通にする動作に「とうとう」ということばで強調されている。おじさんにとっては異常事態だ。あれほどかさを大事にしていたのにとうとうひらいてしまった。

歌の通りなのか確かめたくなったのだ。

「あめがふったら ポンポロロン あめがふったら ピッチャンチャン」おじさんとかさはそう言いながらあめの中に入っていきます。

おじさんのりっぱなかさに、あめがあたって、ポンポロロンとおとがしました。

「ほんとだ、ほんとだ、あめがふったらポンポロロンだあ。」

おじさんはすっかりうれしくなってしまいました。

あんなに大事なかさがあめにぬれるのを嫌がっていたのに、すっかり嬉しくなっている。じぶんからすれば不気味だったおじさんだからこそ、こちらがわの感覚を知ってくれてさらに嬉しくなっていることが見えると、可愛く思えてしまう。子どもの言動や行動は大人の価値観を柔軟にしてくれる。子ども向けに作られた絵本のことば、ももう大人になって凝り固まってしまったじぶんたちに新たな視点をくれる。これだから絵本は面白のだろうな。

おじさんは街のほうへ歩いていきます。いろんな人が長靴をはいて歩いていました。すると下の方でピッチャンチャンと音がしました。

「ほんとだ ほんとだ、あめがふったらピッチャンチャンだあー。」おじさんはどんどん歩いていきました。

あめがふったら ポンポロロン あめがふったら ピッチャンチャン うえからもしたからもたのしいおとがしました。おじさんはげんきよくうちにかえりました。

1ページ見開きいっぱい文字なしの絵が出てくるのですが、おじさんが真ん中で嬉しそうにかさをさし、周りもかさをさした人が歩いている。そんな絵です。おじさんの満足そうな顔が印象的。ぜひこのページを見ていただきたい。おじさんのかさに対する価値観が変わったのだなと見ていて嬉しくなります。あのおじさんがかさをさしてほほ笑んでる!それだけでなぜかしあわせな気持ちになります。

大事にするとはどういうこと?

うちにはいってから、おじさんはしずかにかさをつぼめました。

「ぐっしょりぬれたかさもいいもんだなあ。だいいちかさらしいじゃないか」

りっぱなかさは、りっぱにぬれていました。おじさんはうっとりしました。

おじさんは今までかさを大事にしてきました。あめの日は使わないという方法で。でもそれは正しいのか。正しさは人それぞれだけども、「だいいちかさらしいじゃないか」ということばにグッときます。かさはやっぱりかさなのだからあめにぬれていた方がかさらしい。ぬらさないのが大事にするということなのか、きっちり持って生まれた役割を全うしてもらうことも大事にするということではないだろうか。

人もそうかもしれない。持って生まれた才能をもっとじぶんで知るべきだし、その才能にあったことをするとよりあなたらしい。それが大事にするということなのではないかと思う。

まとめ

絵本「おじさんのかさ」は人によって価値観が違うということ、そこには不気味さ、違和感が伴うということ。価値観はちょっとしたきっかけで変えられるということ。それはじぶんがどんなことを大事にしているのかということを考えること。じぶんを大事にすること。大事にするという仕方を考えさせる。そんな絵本なのかもしれない。

じぶんが好きな絵本はどこか不気味で違和感があって、でもそこが心地よくて。作者の意図するところとは違うのかもしれないけど、じぶんはじぶんの価値観を持って絵本を読み続けていきたい。解釈は人それぞれでいいと思う。ああかもな、こうかもなって言いながら考えていきたい。それがじぶん自身にとって、絵本を「大事」にするということ。そう思わせてくれる絵本がじぶんの「benchmarks=基準点」なんだと再認識しました。

あなたは「おじさんのかさ」を読んで、どう感じますか?

タイトルとURLをコピーしました